玉一アクアリウム (兵庫県)
昔は世界一の産銅量があり、1万人がくらしていた別子銅山のあとを見学しました。ふもとから天空ロマンバスに乗って、当時は3800人がくらして、学校や病院や劇場や家があった標高750mの東平地区に行きました。東平と書いて「とうなる」と読みます。
ガイドさんの説明を聞きながら、鉱石を運ぶ基地や貯鉱庫のあとを見学しました。空中に渡したロープにつり下げた箱に鉱石を入れて、ふもとまで運び、かわりにふもとからは、生活用品が箱に入れられて帰ってきたそうです。鉱石の重みで、ふもとまで運ばれるため、動力がいらなかったと教えてもらっておどろきました。今は車で行けるけど、昔の人は30kgの荷物をせおって山を登ったと聞いて、たいへんだったんだなと思いました。
東平地区というところに当時は3800人住んでいたと聞いて「人が住んでいたんだ。知らなかった。」とおどろきました。また別子銅山は、有名なところだと聞いたので、これからも別子銅山を大事にしてほしいなと思いました。
報告担当 IR(小6)
玉一アクアリウム(兵庫県)
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